クリミア戦争の背景
19世紀中ごろに、ナポレオン以後のヨーロッパ社会に比較的長期の安定をもたらしたウィーン体制が各国の利害関係の複雑化などから揺らぎ始めた。やがて広大な領地に異なる文化や宗教を唱える民族を多数抱えるオスマン帝国のような多民族国家では、被支配民族を中心にナショナリズムが台頭するようになった。
なかでも、ボスニアやヘルツェゴヴィナは民族的にはスラブ系でも、宗教的な支配層はムスリムであり、そして被支配層としてはキリスト教徒が多数であったがゆえに、ほとんど工業化が進んでいないこの地域では人口の大多数が封建領主に搾取される貧農であったので、度々セルビアやモンテネグロの反トルコ運動の宣伝に使われた。
トルコは、近代化よりもまずはこの地方の安定化を優先させる事を意図してキリスト教徒の被支配層にある程度の平等を宣言して税制の公正化を図るなどして、問題の解決に奔走していた。しかし、1848年からの一連の革命を機に起こした運動が失敗したために、農奴状態の農民がさらに悲惨な状況に追い込まれることを危惧したトルコは、不安定ではあるが再び支配権が確立された後に、この地域への農業改革(自作農化)を求めた。これに対して、支配層のムスリム貴族たちが反対したためにトルコは1850年にドナウ方面軍司令官オメル=パシャを派遣して反対派をサラエヴォから追い出して一時的に秩序の回復に成功するが、蜂起した農民の武装解除には至らなかった。
ロシアとトルコの直接の対立の発端となったのは、トルコが支配していたエルサレムをめぐる聖地管理問題であった。フランスのナポレオン3世が個人的な名声を得るために国内のカトリック教徒におもねって聖地管理権を獲得すると、ギリシア正教を国教とするロシアのニコライ1世がこれに反発した。ロシアは正教徒の保護を口実にしてトルコ全土に政治干渉し、これがモルタビアとワラキアへの兵力投入につながっていく。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
ナショナリズムの台頭についてしらべてみました 。
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